──本作の発想の源は何ですか?
1980年代の終わりに、イタリアで実際にあった事件を題材にしています。12年前に、この事件に想を得て脚本を書き始めました。けれどもその後、何度も書き直し、端緒となる事件を再解釈したり、再構築したりして、今回の映画に至っています。ですから、実際の事件からインスピレーションを得た物語ではありますが、最終的に自由なイマジネーションで作った作品になりました。
──脚本開発について教えてください。
もちろん撮影前に脚本を用意しますが、私の場合は、クランクインしてからキャストの意見を取り入れながら、どんどん脚本を変えていくという手法を取っています。今回も、俳優たちと何度もコミュニケーションを重ねて、変えていきました。主演のマルチェロ・フォンテとも、何度もアイデアをやり取りして、彼にあたかも服を縫い付けるように、彼の人となりに即した形で作っていきましたね。特にラストシーンに関しては、現場で方向性を決めました。
──結果的に実話の部分は残っていますか?
実際の事件は、当時イタリアを騒がせた陰惨な殺人事件でしたが、映画の方向性としては全く違う独立したものになっています。実話に基づく要素としては、登場人物たちですね。主人公のマルチェロ・フォンテ演じるマルチェロという男は、犬のトリマーやドッグシッターをやっていた実在の人物です。彼がシモンチーノと呼ばれていた暴力的な男との関係性の中で、彼自身は全く暴力性とは無縁である人物だったにもかかわらず、抗えない暴力のメカニズムの中に陥っていくのですが、ストーリーの展開自体は自由に羽ばたいていきました。実際の事件を知っている人たちからは、かなり暴力的な物語ではないかと思われがちなんですが、特に前半は愛情ですとか、彼の生活、彼の優しさを描いています。ちょっとクスッと笑ってしまうようなコミカルなところもあると思うんですね。
──ロケーションがとても雰囲気があり、特に夕景が美しいですが、舞台となった町はどこでしょうか?
ナポリから40キロくらい離れた小さな町です。そこが、この物語を語るにあたって、最適かつ理想的だと思いました。小さなコミュニティがあって、そこにはマルチェロが大切にしている仲間がいる。大都市ではなく、小さな共同体を描くために、この場所を選びました。ウエスタン映画のような雰囲気を醸し出しているところもイメージ通りでしたね。
──ロケハンで見つけられたのですか?
2001年の『剥製師』と、2007年の『ゴモラ』で、既に撮影に使った場所です。自分にとっては、ホームタウンのような町ですね。ヴィラッジョ・コッポラ、コッポラ村という地名です。
──マルチェロ役にマルチェロ・フォンテをキャスティングされた理由を教えてください。
マルチェロ・フォンテは、主人公を演じるのに理想的な役者だと思いました。彼本人が非常に穏やかで、他人の優しい気持ちをかき立てるような人物だということが大きかったですね。それから、コミカルな部分からドラマティックなところへも難なく移行していける才能を持った俳優であるということで、彼を起用しました。たとえば、バスター・キートンですとか、往年の無声映画の俳優を思わせるところがあります。目と表情だけで物を語れるところが、とても気に入りました。非常に心優しい男が、自分が犯した小さな過ちの繰り返しで、暴力のメカニズムから逃れられなくなり、がんじがらめになってしまうところを描きたかった。彼が人間性に溢れていればいるほど、暴力に囚われてしまった激しさというのが見えてくるのではないかということで、それを体現したのが彼でしたね。
──エドアルド・ペッシェは、外見からかなり変えて役作りをされましたね。
エドアルド・ペッシェには、肉体改造と言っていいほど変えてもらって、本人とわからないくらい作りこんでもらいました。人々の不安をかき立てるような、非常に脅迫的で侵略的な人物というのを、肉体をもって示してもらいたかった。あとは、ほとんどしゃべらないという人物像を作ってもらいました。やりたいことはどうしてもやるという決意と、とにかく暴力的な面と、それから欠かせない要素がコカイン中毒ですね。映画を観ていると、薬物に溺れてしまった人間が、どういう行動に出るのかということも、よく理解できると思います。
──マルチェロ・フォンテには、どんな役作りの指導をされましたか?
撮影に入るまでの2か月間、稽古期間を設けて、エドアルド・ペッシェと二人で登場人物にいかに近付いていくか、焦点を当てていくかという作業をしてもらいました。
──犬たちは素晴らしい動きと表情を見せますが、演技指導はどのようにされたのでしょうか?
専門家をつけました。演技の指示はトレーナーを介して、犬たちにやってもらいました。あとはマルチェロ・フォンテに、ドッグトレーナーとトリマーの修業をしてもらいました。何週間かかけて慣れていきましたので、マルチェロは犬といい関係を築いていましたね。
──監督が、幸せとは言い難い主人公や人生の不条理をテーマとして描くのはなぜですか?
本作で描きたかったのは、間違いも犯すけれども、人に好かれたい、皆とうまくやっていきたいという気持ちもある、私たちの多くに似ているような、ある種平凡な男が、望んでもいないのに、じわじわと暴力のメカニズムに巻き込まれていく姿です。マルチェロというのは、個人的に非常に身近に感じるところがあるし、理解できます。私が過去の作品で描いてきたのも、誰しもシミの無いホコリの立たない人間では決してないのですが、あくまでも人間的で、自分も投影できるような人物だと思います。マルチェロもその一人ですね。
──監督にとって、どんな映画になりましたか?
極端なストーリーを通じて、私たちの誰もが抱いている不安、つまり私たちが生きるために日々行っている選択がどんな結果を招くのか、イエスと言い続けてきたことで最早ノーと言えなくなってしまっていること、自分が考える自分と真の自分との差異といった不安に、向き合わせてくれる映画です。こうした深い問い、一人の男の純真さの喪失へのアプローチにおいて、本作は教訓的ではなく“倫理的”で普遍的な映画だと私は思っています。
──影響を受けた映画や、監督などはいらっしゃいますか?
日本だと、溝口健二監督が大好きです。影響はかなり受けています。イタリアでは、ロベルト・ロッセリーニとフェデリコ・フェリーニ。フランスでは、ジャン・ヴィゴですね。
──日本では8月に公開されますが、日本の観客へのメッセージをお願いします。
8月なんて、映画館へ行くの? イタリアでは誰も行かないですよ。
──夏休みもありますし、行きますよ。
よかった。8月にイタリアで公開される映画というのは、つまりは誰にも見せたくない映画ですからね(笑)。観客には、感情を揺り動かしてほしいです。物語の中に入り込んで行って、その瞬間、瞬間を、あたかも追体験するような経験をしていただきたい。映画を楽しみつつ、ドラマを体感しつつ、感情を揺さぶられて、笑って泣くようなそんな結果が得られたら、監督としては何よりの喜びです。